1)サヨナラ!
2)小林先生のライカは“エーラー式”?
3)今日はなんてインターナショナルなのかしら
駅の反対側へ回り唯一の電話ボックスへ入るとカード式ではなく、もう街中では見かけなくなったコインを入れる旧式の電話。予想外の事態に2人で財布の底の小銭をかき集め、電話をして待つ事5分ほど。 車で現れたのはマンフレート・ハンマーシュミットさん。挨拶もそこそこに早速車に乗って出発。
今回の訪問目的は、ホルツ全権大使としての挨拶、フランクの求めに応じて日本から送った小林先生撮影によるF・ハンマーシュミット・マフィア(ユーザー)の集合写真が約束通り飾ってある事を確認する、Ykさんと話し合った改良の可能性(後述)・・・等々。
駅からはそう遠くなく、上記の目的を思い起こしているうちにもう到着!話に聞くヴーリッツァーのような普通の一軒家を想像していたが、3階建ほどの大きな建物の2階の一部をヴェルクシュタットとして使用している様子。マンフレートさんとその奥様にあらためて挨拶。とても人懐こい感じの方々。私のことは先生の写真のおかげで名前と顔と両方認識してくれていた模様で、いっそう親しみを感じる。お茶をいただきながら見回すと、白を基調とした清潔な感じの25〜30畳ほどと思われる長方形のスペースに簡単な展示のための家具。テーブルに椅子が6脚ほど。片面は窓になっていて明るく反対の壁には給湯スペースの分と事務所と思われる部屋へのドア。 それらの間にフランクの楽器を使っている数々の奏者の写真が。M.プライスさんやJ.グライヒヴァイトさんといったおなじみの顔の上に、あらどこかで見た人たち。ありました!ホルツの写真。小林先生の『“エーラー式”ライカにて撮影』という注釈付き。他には先ごろホルツ・会員になられたW.マイヤー教授、キール・フィルのバス・クラ奏者や数名のジャズ・プレーヤー達。隣のドアの横には当会の嬢王様として名高い(?)Omさんの恩師、ツェレツケ教授の写真も。 奥の方でガサゴソやっていた奥様が「ほら、これ。忘れずに持っていってね」と持ってきたものは・・そうそう忘れてました。Ktさん依頼のケースカバー。結構かさばるなぁ。ここからの宅急便っていくらするんだろう?と思っていると横から「Ktさんに送料請求しなきゃね」という気持ちを察したお言葉。Ykさんわかってるね!?これで目的の半分は達成。
フランク登場。一年ぶり。挨拶もそこそこに早速、?の話を。
ミュンヒェンに着いて最初の晩にYkさんと一杯やりながらのこと。ベリオの“ゼクエンツァ”で一つだけうまく出ない重音があり、それを実現するためには半音分下管を長くすればすればよいのでは?という話にまとまり、折角フランクの所に行くのだから、ロイトナー&クラウスのようにできるかどうか聞いてみようとなった次第。
実際に問題の音を吹いて(Ykさんは楽器持参)彼に聴かせたところ、「問題は解ったが難しいな。バセット・クラリネットってあるでしょ。あれのB管を作るようなもんだよね」と話が始まり、だんだん熱を帯びてくると早口になって途中で僕は脱落。まぁいいや。あとでYkさんに内容を報告してもらおう。数分後に結局、これはできないという事で決着。それはそれとして彼女もフランクの楽器を試させてもらおうと試奏室へ。
彼女、一年前ヴィーンで彼の楽器を吹いた時とは違った印象のようで「この音、いいですよね」なんて言いながらモーツァルトからコープランドやストラヴィンスキーまで吹きまくって、「いいなぁ!欲しいなぁ・・・どうしよう・・・」。
その後3人で彼の仕事場へ入れてもらい、現在の楽器(ヴーリッツァー)で音程の悪いところを手直し。彼がトーンホールの穴埋めをしている間、私たちはマンフレートさんの案内で製作過程を見学。乾燥させた部材から次第に形を成していくところをつぶさに見ることが出来、6月に見学したYAMAHAの工場同様、規模こそ違え大満足。しかしマイスターのヴェルクシュタットは大企業とちがい職人の厳しさの中にも家族的な親密さが垣間見えるところに魅力さえ感じられる。(いわゆる企業秘密もあるのだろうと思い写真は無し。悪しからず)ヴァッテンスやノイシュタットもこんな風情なのだろうか?是非覗いてみたいものだ。
10分ほどでフランクのところに戻り調整の成果を確認。チューナーを前に問題の音程を確認すると確かに良くなっている様子。その後彼女に後ろを向かせてから「YKさんブラームスの2番を吹いて」「Hdは俺と一緒にチューナーをチェック」と言われるまま見ていると先ほどよりふれの幅が大きい。
「ほら、彼女といえどもチューナーを見ると見ないとではこんなに違うんだよ。自分の耳で音程をとらなきゃいけないよ」というような事を諭された。納得。さらに20分ほどYkさんに何か言っていたが早口に加え、聞いた事もない単語連発のため内容は不明。帰途、車中で彼女に聞いたら「途中から方言で何言ってるか解らなかった。」2人爆笑。
そろそろ仕事場に西日が入りはじめた頃、別なお客さんが登場。彼はハンガリー出身で現在カラヤン・アカデミーにいるという学生さん。「ハンガリーからは多くの優秀な音楽家が出てますね」というと「コダーイ・システムのおかげだよ」という回答。コダーイといえば本国では政治的にもかなり力を持っていたと聞くが思わぬところでこのような事を聞き、教育に対する彼の取り組みをあらためて認識。
(そういえばドイツ人から“オルフのシュール・ヴェルクのおかげ”という言葉は聞いた事が無い)
みんなでお茶を飲みながらの音楽談義に外出から戻ってきたお母様が
「あらっ、今日は日本の方々にハンガリーの方に、なんてインターナツィオナールなのかしら!」
是非夕食をと勧めてくれるところを丁重にお断りしてフランクのもとを辞し、車中の人に。
因みに折角のお誘いを受けなかったのは電車がなくなるから!ではなく、この日ミュンヒェンへ帰って“ブタの足”を食べる計画(重要度:高)があったから・・・
(以上は‘99R.Strauss-Woche見聞録より9月22日分を抜粋・加筆したものです)