ミュンヘンクラリネット事情
by Gm

 先日、南ドイツはミュンヘンを訪れた際のことである。
 定刻になると人形が踊りだすという「からくり時計」が有名な新市庁舎の前の広場で、世界中のおのぼりさんに混じって「その時」を待っていると、突然広場の一角でブラスバンドが演奏を始めた。
 人垣を掻き分けて近づいてみると、チロルの民族衣装をまとった楽隊が行進曲らしきものを演奏している。
 お腹のつき出たおじさんから、そばかすも初々しい青少年まで、30人程の村の?ブラスバンドらしい。
  音程もリズムもそれなりだが演奏が終われば拍手喝采。楽器を手にはにかむ少女の笑顔がまぶしい。
  その時、はたと気付いた。そうか!ここはミュンヘン。「ビヨンド・サイレンス」のララが住んでいた街だ!
 別掲の拙文でエーラーの凋落を慨嘆したそのわずか半年後に、自分自身が映画の舞台となった
ミュンヘンの土を踏むことになるとは何たる奇遇。むむ、これも「悪魔のみちびき」か?!
 ま、それはともかく、早速見物客の最前列でクラリネットセクションの観察を開始することにした。
 クラは全部で6人。何と嬉しいことにベーム式は1人だけで残り5人はエーラー式だった。
 エーラーグループはエスクラが1本と並クラ(B♭)が4本。
 エスクラのメーカー名は確認できなかったが、並クラは1本がシュライバー、あと3本は何とYAMAHAだ。
(但し、日本で発売されているフルエーラーではなく、低音の音程補正キイが無い普及タイプ。因みにリガチャーは、一番年長のお父さんだけヒモを巻いていたが、エスクラはメタル、他はBG製のソフトリガチャー。)
 もしこのバンドが南ドイツの標準だとすると、エーラーのシェアはまだ8割以上あることになる。
 そうか、ミュンヘンではまだエーラーは健在だったんだ!とつい頬が緩んだ。

 それにしてもドイツのエーラーを支えているのが日本のYAMAHAとは…。
でもそれなら何故ララは、そしてララの叔母さんもベームを吹いていたんだろう?
 演奏終了後「からくり時計」を鑑賞し、広場を後にあれこれ考えながら歩いていると、今度はねぎ坊主頭が特徴のフラウエン教会の前で立派な構えの楽器店を見つけ、入ってみる。
 2階の管楽器売り場には、ワグナーチューバや木製フルート、様々な古楽器なども展示してあり、管楽器専門店と呼んでも差し支えない程の充実ぶりだ。
 クラの陳列はと見ると、ベームとエーラーがそれぞれ10数本ずつショーケースを分け合っている。
 ここで私は、日本では絶対お目に掛かれない「リュック型エーラー専用シングルケース」を発見。
 日本に帰ってホルツ会員を羨ましがらせるために即購入を決意した。
 レジのおねえさんが『これはドイツシステム用だからベーム式は入らないわよ』と釘をさ すので、待ってましたとばかりに 『ハイ、大丈夫。私、日本人だけどエーラー式吹いてま す!』と答えた。ニコリともしない彼女に問うた『…あの、ミュンヘンの人、エーラーと ベーム、どっち使うありますか?』
 その答えは次のようなものだった。
 『そうね、ミュンヘンの大きなオーケストラはほとんどベームだけど、地方のオケはまだ エーラーが多いみたい。年寄りほどエーラーを吹いてるわ。学校のブラスバンドは半々位 かしら。』
 こちらの思い入れなど知る由もない彼女の率直な物言いに、ちょっと心に傷を受けた私は、 『Danke.....』と言い残して店を出た。
(2002/6/23 by Gm)

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